研究課題/領域番号 |
16K16920
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研究機関 | 筑波大学 |
研究代表者 |
上田 裕之 筑波大学, 人文社会系, 助教 (70581586)
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研究期間 (年度) |
2016-04-01 – 2020-03-31
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キーワード | 清朝史 / 貨幣史 / 財政史 / 档案 / 雲南省 / 雲南銅 / 銅政 / 制銭 |
研究実績の概要 |
本年度は、特に乾隆20~30年代の雲南省における「廠欠」問題について関係史料を収集して分析を加えた。 廠欠とは、雲南省が銅廠(銅山)側にあらかじめ支払った銅価(銅の対価としての銀)が回収不能になることである。それは乾隆20年代初頭に累積し、いったんは清算されたものの、乾隆30年代初頭に再び累積して以後常態化した。これによって清朝のベン銅政策は次第に行き詰まりをみせ、制銭の安定的流通にも悪影響を及ぼすようになり、乾隆前半の「銭貴」の時代から道光年間の「銀貴」の時代へと移行していく発端となった。廠欠問題は、18世紀から19世紀にかけての中国貨幣史ひいては中国経済史の推移を跡づける上で極めて重要な位置を占めると言ってよい。 廠欠の根本的原因は、雲南省から銅廠側に支払われる銅価が生産コストに比して不足しており、銅廠側は生産した銅の一部を商人に横流しせざるを得ない状況に追いやられていた(そしておそらくは現地官もそれをある程度黙認する他なかった)ことにあった。しかし、銅価の引き上げに必要とされたのは10万両程度であったのに対して、当時の清朝は財政的に最も好調であって北京の戸部銀庫には約6000万両もの余剰金が収蔵されていたのであり、清朝が銅政の瓦解を事実上座視しながら銅価の引き上げに否定的態度を取り続けた理由はこれまで全く問われてこなかった。そこで私は、「宮中档朱批奏摺財政類」および「宮中档乾隆朝奏摺」から関係する奏摺を網羅的に収集して、上記の問題に財政史的観点から検討を加えた。さらに、この問題には乾隆30年代前半のビルマ(緬甸)との戦争における役畜の徴用が大きく関係していることを突き止め、軍事史的観点からも検討を進めた。その成果をまとめた論文は現在執筆中であり、2019年度中に投稿する。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
『大清高宗純皇帝実録』『欽定大清会典則例』『皇朝文献通考』『欽定戸部鼓鋳則例』などの官撰書の検討に加えて、「宮中档朱批奏摺財政類」および「宮中档乾隆朝奏摺」から膨大な数の漢文档案を収集して検討を加えることは相当の時間を要するものであり、さらに清朝の対ビルマ(緬甸)戦争に関する軍事史的検討を行う必要が新たに生じたため、年度内に論文を発表するには至らなかったが、研究成果としてはほぼ確定し、執筆を続けて論文を完成させるのみであり、進捗状況としてはおおむね順調と判断できる。
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今後の研究の推進方策 |
前述した乾隆20~30年代の雲南省における廠欠問題について一日も早く論文を完成させ、学術誌に投稿する。また、当該論文を準備する過程で、乾隆30~40年代の雲南省の銅銭鋳造について「内閣漢文題本戸科貨幣類」を用いて検討を加える必要性に気づいたので、それについても論文化を急ぎたい。ただし、いまだ史料収集にも着手できていないので、まずは堅実に史料の収集と分析を進めることとしたい。
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