研究課題/領域番号 |
16K16924
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研究機関 | 神戸大学 |
研究代表者 |
朝魯孟 格日勒 神戸大学, 国際文化学研究科, 協力研究員 (50759355)
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研究期間 (年度) |
2016-04-01 – 2020-03-31
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キーワード | 東洋史 / 清朝 / 外モンゴル / 牧地紛争 / 駅站 / 牧地境界の画定 |
研究実績の概要 |
本平成28年度は、主に「清代外モンゴルにおける駅站(国防、軍事のための通信・交通組織)と旗(行政単位の名称)との牧地境界画定過程の解明」といった課題に取り組んだ。 具体的には、モンゴル国立中央文書館所蔵の公文書等の一次史料を利用して、まず乾隆46(1781)年の外モンゴル西部3盟(行政単位の名称。複数の旗より構成)の盟界画定という境界画定事業の中で、サイル・オソ駅站やフレー南路駅站の牧地が旗から如何なる形で分配されていたのかを考察した。次いで、盟や旗同士の牧地境界の画定過程・状況と比較検討しつつ、その駅站と旗との牧地境界の画定経緯を検証した。 その結果、サイル・オソ駅站やフレー南路駅站と諸旗との牧地は、乾隆45(1780)年から次第に画定されはじめ、水草等の地理状況によって概ね40~70ガジャル(1ガジャルは576メートルに相当)の範囲で駅站の道を軸に東西や東西南北へ均等に分配されたが、実際の境界のオボーはまだ設置されなかった。 最終的に、これらの駅站と旗との境界におけるオボー設置は同治3(1864)年の新規定によって本格化し、乾隆45年の既定範囲を基準にしたのである。ここから、清代外モンゴルにおける駅站の牧地は終始一貫して変動しなかったことがわかる。これは、外モンゴルの盟や旗の牧地境界が牧地紛争の処理等によって変遷していたのと対照的である。つまり、係争地が駅站の牧地であるがゆえに、その変更が容易ではなく、清朝の対外モンゴルの駅站管理体制が厳重であったと考えられる。また、外モンゴルにおける駅站と旗との牧地境界は、乾隆45年以降の牧地分配から始まり、およそ80年後の同治年間(1862-1874年)におけるオボー設置によって最終的に画定・整備されたことがわかる。これは、盟、旗の境界画定事業には実に長い年月がかかり、清末に差し掛かる頃まで、最終的な境界がなかなか確定できなかったことを再立証できた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本平成28年度は、モンゴル国立中央文書館と中国内モンゴル档案館(公文書館)で史料調査を行い、清朝の内・外モンゴル地域で設置された駅站やその牧地等に関連するモンゴル文や満洲文の公文書等の一次史料を数多く入手した。そして、これらの史料を利用し、論文1報を執筆して学術雑誌に投稿した上、その内容に関する研究発表を1件行った。
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今後の研究の推進方策 |
今後は、今までの研究成果を踏まえ、(1)「清代外モンゴルにおける牧地境界画定から見た遊牧民の遊牧状況の解明」、(2)「清代内モンゴルにおける盟や旗の牧地境界画定過程の解明」、(3)「清代モンゴルにおける牧地境界画定から見た遊牧民の遊牧実態の解明」といった諸課題に取り組む。その際、モンゴル国立中央文書館と内モンゴル档案館(公文書館)等で史料調査を行い、牧地紛争の事例をはじめとする一次史料等を収集・利用する。同時に、ベルリン州立図書館所蔵の清代内・外モンゴルの諸盟や旗に関する当時の牧地図をも駆使する。
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次年度使用額が生じた理由 |
史料調査中に知り合った研究者にベルリン州立図書館のホームページを教えていただき、当ホームページ上で公開されている清代外モンゴルの牧地図をダウンロードできた。このため、当初予定していた地図の複写費が残った。
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次年度使用額の使用計画 |
平成29年度の使用額と併せ、公文書史料等の複写費として使用する予定である。
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