本研究プロジェクトの最終年度にあたる2019年度には、ローマ帝政初期のキリスト教会において形成された「殉教」の基準に存在した「法廷におけるキリスト教信仰の保持による有罪判決」という客観的規定が、古代末期から初期中世にかけて変質した過程を明らかにするという研究目的に沿って、古代末期におけるローマ帝国文化領域に生きたキリスト教徒の社会的地位の不安定化が生じた場合に、殉教者称号付与の基準に影響を与えた状況を描出し、かかる政治的背景から生まれた要請が、同時代のみならず、古代の殉教者にもかかわる殉教概念の変遷を引き起こし、その後の中世期から現代に至る西欧キリスト教社会のアイデンティティ形成に与えた影響を解き明かす研究に従事した。個別事例として今年度は、391 年アレクサンドリアの修道士アンモニオスの殉教者称号付与論争の研究を行った。修道士アンモニオスは、市内の騒擾の中逮捕され、長官オレステスによって拷問を伴う尋問を受け死亡した。アレクサンドリア司教キュリロスは彼を殉教者と宣言しようとするが、そもそもアンモニオスの逮捕と死は長官オレステスに対する投石という暴力行為に端を発し、キリスト教信仰の故とはいえ殉教とはみなせないとする反対が生じた。本研究では、被告が判決前に死亡していることから、この事例を古代的な「有罪判決による称号付与」基準の残痕と、同時にキュリロスに見られるような基準の揺らぎが同居するケースと想定して分析を行った。これとは別に、初期キリスト教会における殉教者称号の付与によって教会内で権威を得た個々の教徒の個別分析が、エルサレム教会におけるイエスの親族の権力継承と関係することを発見し、原始エルサレム教会周辺のイエスの親族に関する史料上の叙述の真偽を問う分析も併せて進めた。
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