従来、錆は金属製遺物の形状をわからなくしてしまう厄介者であった。しかし、遺物とその表面に遺存する錆の情報からこれまで不明であった情報を引き出すことができる点は有意義と言える。錆のもつ情報の意味を理解し利用できるようになれば、多方面へ応用することもまた可能である。そのため、本研究では、愛知県大須二子山古墳出土遺物のすべてに着目してその遺物の構造や付着有機質・錆情報を検討し、戦後の復興期に消滅した古墳の埋葬施設の復元検討を試みた。 大須二子山古墳は、継体朝期の尾張の大型前方後円墳とみられている。同時代は、尾張地域は断夫山古墳や味美二子山古墳など大型前方後円墳が築造された時期で、記紀にみえる尾張連に関連して大きな勢力を有した時期であろう。このような資料を検討の対象とすることで、本研究が単に資料の個別の復元研究ではなく、古墳の墳丘・埋葬施設・副葬品といった総合的な面から畿内中枢域と有力地方豪族との繋がりを考えていく基盤とも成り得る。 本研究の成果として、研究成果報告書を12月1日付で刊行した。報告書には、研究の主たる対象とした大須二子山古墳の副葬品の報告に加え、鏡・甲冑・馬具・鈴付銅器といった各副葬品の品目についての他資料との比較を中心に検討を加えた。こうした成果を受け、現存する錆の情報から副葬品の配列の復元検討を行った。 錆の情報から埋葬施設と副葬品配列のすべてを明らかにすることは当然のことながら不可能である。しかし、木棺の情報、副葬品同士の銹着関係を明らかにできたので、その情報を他の類例比較を通じて竪穴系埋葬施設、刳抜式木棺の存在を確定できた。 また、甲冑類については、遺存状況の良好な小札甲をはじめ、他甲冑付属具との位置関係を一定程度推測できる痕跡を認め得たので、同一埋葬施設内に一括して甲冑類が副葬されていたものを推測された。これは甲冑類のセット関係を考える上でも重要視される。
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