本研究の目的は、明治中期から大正期にかけての大阪市政を対象として、『大阪毎日新聞』『大阪朝日新聞』および『大阪新報』が、地域政治(都市政治)にかんして、如何なる政策論を展開していたのかを明らかにし、それにより、個別の政治勢力の利害や意見(プライベート・インタレスト)が如何にして公共性をもつに至るのか(ローカル・インタレストとして成立するのか)という点を、考察することにある。 当該年度においては、『大阪新報』の検討を開始するとともに、大阪築港や市電にかんする意見書などの調査をおこなった。これに加えて、大阪の比較対象としての新潟の検討を行った。瓦斯報償契約問題にかんして、大阪新報は直接の言及はしていないが、瓦斯報償問題に続いて起こった電灯会社の報償問題では、明確に反対の立場を示している。大阪毎日と同様に、新興の経済人を代表する大阪新報は、鶴原市政がすすめる報償契約問題には反対であった。 このような、新興の経済人・政治家を新聞が代表する、あるいは彼らが既得権益を打破する手段として新聞を活用するという特質は、新潟においてもみられた。明治40年代に新潟市における新興勢力として登場した桜井市作は、週刊新聞『新潟公友』を発行し、そこで県政・市政の既得権益を批判することで、新潟市政における主導権を握ることに成功した。その際に、彼が訴えたのは、既得権益の批判に加えて、経済的な積極主義であった。 以上から、大阪市で確認された新興政治勢力によるメディア戦略の有効性が、一定程度の普遍性をもつものであったことが示唆されたといえよう。
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