本研究は、戦前満洲という他民族が居住した環境の中で異なる文化的・言語的・民族的背景を持ったもの同士がいかなるメディア環境のもと居住し、統治されていたのかを比較メディア史的に考察したものである。特に、本研究では満洲国において電信・電話・ラジオ放送事業を担った満洲電信電話株式会社に焦点をあて、満洲国における電気通信による情報インフラの実態を明らかにし、満洲国に在住する人々がいかなるメディア政策・メディア表現のもとで統治されていたのかを明らかにした。 満洲電信電話株式会社は満洲国成立以前の電信・電話・ラジオ放送施設を吸収し、引き継ぎ、主要都市を軸に電信網・電話網・ラジオ放送網の整備を進めたが、電信網が地方部にも敷設される一方、電話やラジオ放送は都市部に集中するなど、濃淡が存在した。満洲電信電話株式会社の事業の一つだったラジオ放送は、満洲国国民意識の統一を目的として掲げられた。多民族が居住する満洲国では多言語放送が先駆的かつ積極的に実施され、さらには聴取者の文化的・民族的背景を重視した番組制作をおこない、可能な限り聴取者に対し訴求力のある番組を作ることをめざした。これは朝鮮や台湾などの大日本帝国の他の領域とは異なっていた。ソ連や中華民国と隣接し、越境伝搬が容易に届く満洲国は「聴取者の耳を巡る電波戦争」に取り組まざるをえず、「国民意識の統一」とは逆の方向を進めることになった。 この知見は満洲国が展開した文化政策の意義を再考することになるだけでなく、多文化共生を批判的に考える上でも重要な示唆を与えると考える。 本年度は、昨年度までの資料収集に加え、外交文書、教育関係資料、雑誌関係資料を中心に収集し整理した。今後の研究の展開として、これらの資料を満洲国成立以前の段階までさかのぼって分析し、政治的意思表明と満洲国におけるメディア統治の構造を多面的に考察していく。
|