本研究課題の最終年度となる2018年度は、「近世・近代移行期における医療政策の変容過程」の具体相の解明を目指し、研究に取り組んだ。前年度までは、明治前中期に焦点を合わせて対象地域(長野県)における医療環境の「開化」の過程を検証していた。これに対し本年度は、時期をさかのぼり歴史的な前提を論究しようとした。 まず、査読付学術論文「松本藩(県)から筑摩県への移行期における病院・医学校政策の転回」(『信濃』第71巻第2号)を刊行した。本稿では、近代における筑摩県政期の病院・医学校政策の特質について、近世までの松本藩(県)政期との連続/断絶に注目しつつ検証した。このことを通じて、公立病院の喪失へと帰結した共立体制の歴史的前提を浮き彫りにし、明治前期の地域医療を支えた「公」の様態について考察を深めることを目的とした。松本藩(県)は、藩学の予算による遊学支援などを通じ、医師養成につとめていた。また領内に対しては、貧窮者への施術を視野に入れて病院の開設を触れ出していた。いずれも、近世的領主権力が領内医療の質向上につとめる政策といってよい。これに対し筑摩県は、松本県の医療政策を引き継ぎつつも、財源については大きな転回を図っていた。すなわち筑摩県においては、病院の維持・運営費用は地域名望家層からの寄付、医学生の学費については自費負担へと財源が変容していた。この意味で筑摩県政期に本格化した医療環境の「開化」は、「官費ハ掛サセサル」形で病院・医学校を支える公的な財政基盤を形成させた。ここに、近代移行期に生じた病院・医学校政策の転回の特質を見出すことができる。 次に、信濃史学会近世史セミナーにおいて、「幕末維新期における松本地方の医療環境:病院・医学校をめぐる「公」の行方」と題する講演を実施した。3年間にわたる本研究課題の成果を総括する形で報告をまとめたものである。
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