本研究の目的は、明治日本における小学校教員の教育研究の制度化過程を明らかにすることである。本研究の研究課題は、明治期における教員養成政策・制度や教師論、教職生活の実態などを踏まえながら、①教師の教育研究の意義に関する当時のとらえ方の分析、②師範学校・教育会を舞台にした教育研究の組織化・制度化過程の分析、③教育研究の制度化後の展開に関する実態・課題の分析という三つの研究課題を設定している。 平成30年度は、明治30~40年代における制度化された教育研究の展開について研究した。明治40年代の教育学書(小西重直や吉田熊次、沢柳政太郎など)や中央教育雑誌の『教育学術界』、『小学校』、『日本之小学教師』、地方教育会雑誌の『因伯教育』、『私立後月郡教育会報告書』などを分析して、教育研究についての論説や記事における小学校教員の教育研究の位置づけについて研究した。具体的には、明治30~40年代の鳥取県で教育研究の成果発表の場として制度化され始めていた教育品展覧会について、その教育研究上の意義を研究した。また、1880~1900年代における教育学の科学化の文脈を踏まえて教員の教育研究の位置づけについて整理し、通史的な研究を進めた。さらに、1890~1910年代の岡山県後月郡教育会における教育研究について、その実態と意義について研究した。 研究成果としては、3つの研究論文をまとめた。第1に、鳥取県の事例研究は、中国四国教育学会紀要掲載の学術論文としてまとめた。第2に、教育学書・中央教育雑誌などの研究は、教員養成と教育学に関する研究会において口頭発表した。その成果は、令和元年秋に発行される共著において掲載されて発表される予定である。第3に、岡山県後月郡の事例研究は、教育情報回路研究会において口頭発表した。その成果は、令和元年5月に報告書に掲載されて公表される予定である。
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