本研究の目的は,クレッチュマーおよびケステンベルクの音楽教育改革を音楽的な「市民」の育成という視点から再考し,その特質を明らかにすることである。本年度は,①クレッチュマーとケステンベルクの著書にみられる音楽的な市民像の比較,②両改革で提示されたレールプランおよびそれに即して作成された教科書や指導書の比較を行った。 ①について,クレッチュマーは教養ある「市民」だけではなく,「民衆」を含むドイツの全国民が音楽の基礎的な知識や技能を習得し,声楽音楽を中心とした「奉仕する芸術としての音楽」を愛好することを求めた。その一方で,教養ある「市民」に対しては,ギリシア的なエートス論に基づく音楽による人格陶冶の機能を強調し,「民衆」よりも高いレベルで音楽と関わることも要求した。それに対してケステンベルクは,あらゆるドイツ国民が一丸となって「ドイツ音楽」を愛好するべきであるとした。 ②について,両改革は学校を音楽育成の起点としている点で共通している。しかし,その育成方法には相違がみられた。クレッチュマーの改革では,学校を卒業した後に音楽に関わるための基礎力,特に「自ら楽譜を読んで歌える能力」の育成が重視された。一方,ケステンベルクの改革では,ドイツ民謡やドイツの芸術音楽を歌い,その価値が分かることが重視された。音楽史,形式学などの知識は,ドイツ民謡やドイツの芸術音楽の価値を知ることと関連づけられていた。 音楽育成を受けるべき対象が,「市民」から彼らを包括した全ドイツ国民へと拡大される中で,学習内容の重点は「楽譜を読んで歌うこと」から,ドイツ音楽の価値が分かる学びへとシフトしていった。学校および学校外での音楽育成の柱は「ドイツ音楽」を愛好する心情を養うことであり,それはクレッチュマーの改革からケステンベルクの改革にかけて強化されていったといえる。
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