研究課題/領域番号 |
16K17763
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研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
杉山 友規 東京大学, 生産技術研究所, 特任助教 (90756389)
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研究期間 (年度) |
2016-04-01 – 2019-03-31
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キーワード | 非平衡統計物理学 / 確率過程論 / 数理生物学 / 進化生物学 |
研究実績の概要 |
本研究は定常状態熱力学(SST)の構造を集団増殖系に持ち込むことにより、集団増殖率を熱力学の枠組みの中で評価することを目標とする研究である。また、実際の実験結果との比較検証も本研究計画の範囲に含まれる。 前年度に大枠としての理論構造は明らかになったが(論文として出版済み)、実験との比較検証において細胞のageが重要であるという点が新たな問題として明らかになった。そこで、本年度は主にage構造を理論に組み込むための研究を行った。 結果としては、イベント発生からの経過時間に依存して次のイベントが生じるという効果を持った(すなわちメモリーを持っている)確率過程である、semi-Markov過程を応用することで自身の理論にage構造を組み込むことが出来ることが明らかになった。より具体的には、age構造を持った増殖系の集団増殖率は、semi-Markov過程上に定義される大偏差関数のLegendre変換により評価され、この構造を用いることで、集団増殖率の環境変動に対する応答が、時間後ろ向きにlineageを辿ったときに得られるパス上の統計量から計算できることが明らかになった。また、この結果は実験的にも検証可能なものである。 以上の結果に加え、サブワークとしてage構造は含まないものの、環境をセンシングしながら増殖する細胞集団の集団増殖率が、センシングをしない場合に対してどの程度増殖率ゲイン生み出すことが出来るかという研究も行った。結果的には、情報熱力学で用いられる“揺らぎ定理”と同じような数学構造が現れ、ゲインのバウンドがdirected informationを用いて評価されることが明らかになった。 以上の結果を各々1篇(計2篇)の論文にまとめ出版した(age構造の論文は部分的な内容に止まる)。また、学術発表は物理領域と数理生物領域合わせて、計3件の講演を行った。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
本年度は前年度に新たに生じた問題であるage構造の理論への組み込みを主に行った。結果は順調で、【研究実績の概要】でも述べた通り、semi-Markov過程を理論に応用することで自身の理論に見事にage構造を組み込むことに成功している。また、実験との比較検証については当初の予定とは少し異なる形にはなってしまったものの、本年度に得られた理論構造を用いて、細胞周期情報を持ったlineageデータから、lineage上に存在する各々の細胞の表現型を推定することが出来るという結果を得た。具体的には、表現型推定問題をlineage上の隠れMarkov過程(隠れ状態が表現型)の推定問題に帰着させ、EMアルゴリズムを用いて推定するというアプローチを取った。 以上のように、結果としては満足なものを得ているが、実際の進捗は自身が想定したよりも多くの困難が生じ、特にsemi-Markov過程上の大偏差理論の構築に多くの時間を要した。当初の予定では、semi-Markov過程上の大偏差理論についてはその“数学”を素直に応用すれば十分と考えていたが、実際にはその数理構造それ自体を構築する必要が生じ多くの時間を消費した。そのため、本年度出版した論文はsemi-Markov過程に関する数理的な内容に止まり、増殖系への応用は現在も執筆中である。また、実験との比較検証に関する研究である表現型推定の問題も執筆中であり、本年度中の出版は間に合わなかった。 以上の理由により、研究内容としては順調であるが、自身が当初想定した論文数の出版には至らなかったため、「やや遅れている」と評価した。しかし、すでに執筆は最終段階まで至っており、来年度初頭には2篇の論文が発表される予定である。
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今後の研究の推進方策 |
論文の出版は間に合わなかったものの、本年度中に理論へのage構造の取り込みは成功し、その結果として、細胞の表現型推定などの実際の生物実験においても貢献できる重要な結果を生み出すことが出来た。従って、この度の科研費申請当初の目標であった、「SSTの数理構造を用いた集団増殖率の評価」(この点は昨年度達成)、及び「実験との比較検証」(この点は今年度達成)、は共に達成されたと考えている。従て、残された課題は、「熱力学としての増殖系の理解」である。そこで、本年度はこの点について主に研究を遂行しようと計画している。 現段階における自身の理論は、熱力学の“数理構造”を増殖系に応用しただけであり、熱力学のアナロジーでしかない。(すなわち、“物理学”としての熱力学ではない。)この点は、理論の枠組みの中にエネルギー論が入っていないことに代表される。本来増殖とは、環境に存在する様々な分子を消費し、自身と同じ細胞を複製することによって起こる。本年度は、上記のような複製の“物理”を理論に取り入れ、増殖系に完全な意味での熱力学を構築することを目標とする。手法としては化学反応論における熱力学を用いるが、これを増殖系に応用するためには、細胞の基板分子数密度は一定である環境に細胞集団が存在する設定を考え(すなわち開放系の化学反応論を考える)、注目系としてはどこまでも物質量(細胞数)が増えていってしまう反応系を扱う必要がある。また、総量としての化学平衡が存在しないものの、物質量(細胞数)の比(分布)だけが定常になるような状況を考える。近年の非平衡物理学において、このような開放系化学反応における熱力学はまとめられてきており、これらの理論の応用が有効であると現段階では想定している。
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