本研究では、近代湘南海岸における「サナトリウム」「療養下宿」「別荘地」をサナトリウム群と捉え、そこで展開されたメディカルツーリズムの実態を明らかにすることを目的とした。 その結果、近代の湘南海岸に設立された12のサナトリウムのうち、茅ケ崎、藤沢、鎌倉には、サナトリウム―療養下宿―別荘地によるサナトリウム群が形成され、特に東洋最大のサナトリウムであった茅ケ崎の「南湖院」では、南湖院による徹底した衛生指導の下、比較的重篤でない患者を中心に湘南海岸、および東海道線沿線のまちにおけるメディカルツーリズムが展開されていたことを捉えた。一方、湘南最大の別荘地であった鎌倉に着目すると、比較的内陸に立地する大町地区では、サナトリウム―療養下宿―別荘地が形成されていたのに対し、海岸沿いの由比ガ浜、材木座、腰越地区では、藤沢から逗子に至る比較的広範囲においてこの関係が形成されており、療養や通院と地域散策を為し得る体制が整えられていた。地域ごとのメディカルツーリズムの特徴についてみると、近世以降、「古都」観光が継承されてきた鎌倉および近接する逗子、藤沢では、主に別荘や療養下宿などの患者が名刹などの観光資源を散策する形態がとられていた。さらに、海浜院などが取り入れた牛乳や食肉など西洋式の滋養に良いとされた食品は、すぐさま鎌倉の産業として台頭したことに加え、東京と変わらぬ生活様式を保てるよう、別荘族が中心となって銀行や郵便局などの様々なインフラ整備がなされるなど、まさにサナトリウムありきでのまちづくりが展開されたことが捉えられた。南湖院設立以前は郊外の寒村であった茅ヶ崎では、南湖院設立以降にまち自体の開発が進められ、南湖院自体が観光資源となり、これに付随して周辺の風景などが名物化した様子を確認した。
|