今年度は、1999年国民投票に象徴される、1990年代以降の共和制論争について考察した。とりわけ1970年代との比較において、オーストラリアとイギリスがお互いを明確な「他者」として認識するようになった動向をふまえて、オーストラリア国内における世論についてオーストラリア国立図書館およびニューサウスウェールズ州立図書館、旧宗主国の視点からの報道について大英図書館において史料調査を実施するとともに(それぞれ9月15日から10月14日、11月1日から19日)、関連する成果発表を行った。 ホーク・キーティング労働党政権による共和制への支持や「オーストラリア共和制運動」などの団体による活動を契機として、共和制論争は再び脚光を浴びた。しかし、1996年の総選挙で君主制を支持するハワード自由党政権が成立し、共和制反対派の主導の下で共和制の是非や移行案が議論される錯綜した状況が生じたこと、さらには共和制賛成派の間で国家元首の選出方法(議会による指名投票と国民による直接選挙)をめぐる対立が存在したことが背景となって、国民投票に至るまでの道筋は混迷を極めた。最終的には、世論調査で共和制への支持が多数であったにもかかわらず、提示された移行案が否決されるという結果とともに、共和制論争はいったんの終息を迎えることとなった。 こうした論争の過程の分析からは、多文化主義の進展などによってオーストラリアのアイデンティティが変容してもなお、君主制の撤廃に抵抗を感じる人々が少なからず存在し、そこでの君主制がかつてのようなイギリスとの連帯や従属の文脈ではなく、あくまで自国の伝統として語られる様相が明らかとなった。イギリスにおける報道でも旧植民地の離反に対して批判的な論調は見られず、脱植民地化以降の共和制論争がたどった変遷を総合的にとらえることで、帝国的な複合君主制の変容の軌跡を確認できた。
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