本研究は、なんらかの理由で学校へ通うことが困難になり訴訟を経験した(元)生徒の、裁判を経ながらの成長という一般的ではない人生の経験をインタビューによって明らかにしようとしたものである。従来の教育法の諸研究が裁判の紛争解決能力を高く見積もっていたのに対し、この研究は裁判が必要とする長い年月が少年・少女に重くのしかかるのではないかという問題関心に基づいてている。 前年度までに調査対象への接触、訴訟係属中の場合はその追跡、インタビュー、理論的問題の考察などを行ってきた。本年度は、前年度までに実施したインタビュー調査に基づき2本の論文を執筆した。 1本目の論文は20年以上前の高校時代に暴行を受けたAに関するもので、Aが認定を求める事実は裁判で認定され、Aの裁判の目的は果たされた。しかしその後は、マスメディアでの扱い、社会の人間関係の中で自身の経験に対する理解のなさに苦しんでいる。2本目の論文は中学時代にいじめを経験した現大学生のBに関するもので、Bも訴訟では認定を求める事実が認められた。だが今もいじめの記憶に苦しんでおり、裁判は自分に必要だったと言う一方で、裁判を経験しなくて済む人生の方がよかったと相反する感情を話してくれた。 これらから、教育法の研究領域に新たな視点を取り入れることができた。従来の教育法研究は司法的解決の有効性を前提にしていたが、実際のところ勝訴しても当人の傷は癒えていない。これは、教育学が裁判以外の紛争解決も模索しなければならないことを意味する。 なお本研究では6人ほどの対象と接触でき追跡してきたが、訴訟が確定しなかったり倫理的配慮が必要な状況が生じたこと等から、実施できたインタビューは3人分、論文として公表できたものは現時点で2本である。ただし今後に向けた関係構築・情報収集は進み、非常に有益な調査はできた。
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