昨今、学校教育で苦しむ児童・生徒の存在が報道等で目立つようになる中、訴訟に関する報道も増えてきた。こうした児童・生徒らは、大人や学校、友人、あるいは社会から裏切られたというイメージの中を生きている。その彼ら・彼女らを、事後的で、時には機械的な印象も受ける訴訟という方法が救う、あるいは精神的に支援する結果をもたらすことができるのか。 従来の教育法研究はこのことについて多くを語らず、あたかも訴訟終結後は何の問題も存在しないかのようだった。本研究はこれに疑問を持ち、上記の苦しい経験を持つ当人らにインタビューを行うことで、訴訟が当人にとって助けになる部分、ならない部分の双方があることを示した。
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