本研究の目的は戦後初の公立養護学校である門司市立白野江養護学校の学校史を明らかにすることである。特に,対象校が1950年に同校名となり,1953年光陽小学校,1957年光陽養護学校,1962年門司養護学校へと変化した期間を対象に,この間にいかなる要因により校種変更が生じたのか,戦後の対象校の特徴的な教育がこの間いかに展開されていたのかを資料収集を通じて明らかにすることとした。 この結果,①校種変更は1953年義務教育費国庫負担法,1956年公立養護学校整備特別措置法という2つの法律の制定が影響したこと,②戦後教育の特徴的な実践は上記の校種変更においても継承されていたことが明らかになった。
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