本年度前半は,昨年度に引き続き収集済みのワロン運動に関する資料の分析を継続するとともに,2018年8月にベルギーに短期滞在し,昨年度やや遅れていたフランデレン運動に関して,新・旧の『フランデレン運動百科事典』で参照されている文献,パンフレット等を中心として資料の収集を行った.年度の後半は,昨年度の研究成果として確認した両運動の言語観が顕著に現れている19世紀を中心として資料の分析をすすめた. 本研究の成果として,ベルギーという文脈において民族運動を展開するうえで言語の「権威」を最大限利用する必要があったこと,ゆえに隣国の言語を「自らの言語」として採用する選択は不可避であったこと,そしてそうした状況は両運動に共通であったことを明らかにした.ベルギーの民族運動,フランデレン運動とワロン運動は,これまでとりわけその対抗性が強調されてきたが,まさにそうした「対抗性」が隣国の言語を「自らの言語」として採用した主要因であったことを示したことに意義がある. また,隣国言語の取り込みに際して,双方独自の「言語/方言」意識の構築が重要な役割を果たしたことも明らかにした.隣国の言語と本来の土着の言語の関係を双方独自に解釈することで,「運動のための言語」と「民族の紐帯としての言語」を矛盾なく結びつけることを可能とした.こうした観点からベルギーの両民族運動にとっての「言語」を捉えると,時代や地域をこえた様々な民族言語運動(地域語復権運動・民族自立運動・植民地解放運動など)と同一の構造でベルギーの両運動を理解することができる.以上の成果の大枠は,2019年3月に「フランデレン運動とワロン運動、両運動にとっての「言語」」として報告した.
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