従来のフランデレン運動とワロン運動の研究では、とりわけその対抗性が過度に強調される傾向があったが、まさにそうした「対抗性」が隣国の言語を「自らの言語」として採用した主要因であったことを示したことに意義がある。また、「言語/方言」意識の構築の観点から両民族運動にとっての「言語」を捉えることで、時代や地域をこえた他の様々な民族言語運動(地域文化復興運動・民族自立運動・植民地解放運動など)と同一の構造で理解することが可能となる。また、19世紀の外交言語を主題とした研究、とりわけ19世紀中葉の日本とベルギーの外交交渉における言語使用についての研究へと道を拓いた点にも学術的意義がある。
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