論文では、「1960年代という「偏向報道」攻撃の時代―「マスコミ月評」における言論圧力」下を執筆した。この論文では、「偏向」攻撃に加勢する保守側の新聞・通信社・放送局の動きと主要人物の人脈に注目することで、保守側のネットワークがいかなる作用を果したのかを明らかにした。次に、1960年代後半の大学闘争に焦点をしぼり、東大闘争の専従記者であった『毎日新聞』の内藤国夫の報道活動を中心に分析した成果を「東大闘争の専従記者から見た「1968年」報道―『毎日新聞』の内藤国夫を中心に」として発表した。いずれも共同通信社の資料や記者の記録を活用した。 そして、これまでの研究成果をまとめる形で単著『戦後日本ジャーナリズムの思想』を刊行した。メディア史が盛んな状況がある一方で、ジャーナリズム史の研究は停滞していた。本書では、とりわけ講和条約以降の戦後日本ジャーナリズム史研究が未開拓な状況の中で、実証的な研究基盤を整え、新たな戦後日本ジャーナリズム史研究を試みた。具体的には、「不偏不党」の形成史と1960年代の報道空間を押さえることで、日本近現代のジャーナリズム史の特質を明らかにした。次に、時代状況への批判性を重視した戸坂潤から荒瀬豊のジャーナリズム論の到達点とその系譜を位置づけた。続いて、共同通信の原寿雄をはじめ「戦中派」以降のジャーナリスト群像に迫り、ジャーナリズムのキープレイーヤーである個々の記者の思想、女性記者の苦闘、編集現場の上司の役割を掘り下げた。さらに、総合雑誌『世界』、メディア知識人としての清水幾太郎、全国紙の8月15日付社説における加害責任の認識変容の検討を通じて、ジャーナリズムの言論と責任の相互作用を考察した。最後に、社会でジャーナリズムを支えていくジャーナリズム文化という視点を提起した。
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