本研究では、19世紀にセーヴル製作所(以下「セーヴル」と略記)で作られた新硬質磁器(「新磁器」と呼ばれる新しいタイプの硬質磁器)に見られる中国の影響について考察した。そして、セーヴルが中国磁器に見られる各種の色釉(銅紅釉・青磁釉・翡翠釉・紫釉・炉釣釉など)や複数の釉を用いた彩釉に関心を寄せ、これらに適合する新しいタイプの硬質磁器素地を開発し、その上で中国の色釉を模倣する中で独自の装飾法を編み出していたことを明らかにした。 セーヴルでは中国磁器に見られるような単色の美しい銅紅釉はなかなか得られなかったが、他の装飾法(金彩、パット・シュル・パット、刻文など)を併用して紅釉の欠を補い、瀟洒な作品が作られた。銅紅釉においては、セーヴルは単色の紅釉よりはむしろ、その変種である窯変色釉に活路を見出していた。たとえば、銅紅釉の焼成中に冷却が遅れて高温状態が長く続くと分相性乳濁釉が生成されることを発見し、下層は紅色だが上層は白濁した淡青緑色になるこの釉の性質を生かして、ガラス・エッチングの手法を用いて上層部分にだけ腐食加工を施し、ツートーンの施文を考案している。青磁に関しては、セーヴルでは中国ほどに器形と釉色を徹底して追求しなかったが、施釉前の素地に施した刻文を利用して釉色の濃淡で文様を表し、さらにそこへ上絵や泥漿で装飾文様を描き足すことで、モノクロームの奥深さを示す中国青磁の特色にとらわれずに、ポリクロームの中で青磁色を活かすという青磁釉の新しい活用を模索した。 よって、19世紀のセーヴルは中国陶磁に対する特別な好みを持っていたというよりはむしろ、その技術の原理を学ぼうとしていたと言える。中国の色釉を学んでセーヴルが生み出した作品の多くは、中国を表現しようとしたものではなく、また中国的なものでもない。中国陶磁の色釉技術の模倣を通して辿り着いたセーヴルの表現は、模倣の中の創造と言える。
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