本研究では、1960年代に国連やUNESCOなどの国際機関が途上国の開発のあり方をめぐって開催した専門家会議に注目し、報告書や議事録、決議等を分析した。1950~60年代の国際開発体制においては、「開発」とは「経済成長」を意味し、国際機関や先進国は途上国に対して、エリート主導で「遅れた」伝統社会を「近代化」(=西洋化)するという近代化論に基づく開発援助を行ったと指摘される。1963年にジュネーブで開催された「低開発地域のための科学技術応用に関する国連会議(United Nations Conference on the Application of Science and Technology for the Benefit of Less Developed Areas)」は、まさにこの特徴を如実に示すものであった。一方で、この会議に参加したイギリス植民地科学者は、現地の生態環境および農村社会の詳細な調査に基づく開発計画の必要性を強調した。また、1960年代に開催された他の国際会議においても同様に、生態学の原理に基づく開発を提唱する者が少なくなかった。 当初、かれらの提言は国際会議の決議に反映されることはなかったが、1960年代末になると、開発が生態環境に及ぼした負のインパクトや開発と環境との両立という議論が展開するようになった。こうした劇的な変化の背景には、植民地科学者(および開発援助機関や研究教育機関に職を得た元植民地科学者)が、現地の生態環境に合わせた開発の必要性を国際社会に発信し続けてきたことの影響があると考えられる。
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