脳に損傷をうけた患者は脳機能の障害を受けるが、リハビリテーション訓練を行うことにより、失われた機能が代償されることがある。しかし現在においては、リハビリテーション訓練が脳内の神経回路にどのような効果をもたらし、機能代償を促進するのかは明らかになっていない。脳損傷後の訓練が脳内神経回路に及ぼす効果を明らかにすることは基礎研究として興味深いのみならず、臨床にも有益な情報をもたらすものであると考えられる。 本年度はニホンザルをモデル動物として用い、第一次運動野損傷後の運動機能回復を行動学的に解析した。皮質内微小刺激法により第一次運動野の機能地図をマッピングした後、指運動の支配領域にイボテン酸による脳損傷を作成した。イボテン酸の注入直後から指運動の完全麻痺が生じたが、その後運動機能は徐々に回復した。損傷後の機能回復を定量的に評価するために、クリューバーボード課題を用いた。これは五種類の異なった大きさの孔から小球状の物体を把握する課題である。この課題を用いてそれぞれの孔における課題成績の経時的変化を調べたところ、損傷後に積極的な運動訓練を行った個体では、損傷後1-2ヶ月で課題成績の回復が見られた。さらに課題成績は一時的な課題成績の上昇を含む複雑な時間的変化を示すことが明らかになった。指の動画像を解析した結果、一時的な課題成績の上昇時には示指の先端と拇指の間接付近での把握が数多く見られた。これは指の運動が不十分なために手掌全体の動きを用いた代償把握であると考えられる。その後課題成績の低下を経て、示指と拇指の先端を用いた把握(精密把握)への切り替えが見られた。第一次運動野の損傷後に精密把握の回復が見られたことは、損傷された領域の機能が他の領域の神経回路の再編成によって置き換えられたことを示唆する。また一時的な課題成績の低下というデメリットがあるにもかかわらず精密把握への切り替えが起こる現象の背景として、運動前野等に残された運動企画が影響を与えている可能性がある。損傷後に積極的な運動訓練を行わなかった個体でも大きな孔からの把握成績の回復が見られたが、小さな孔からの把握成績は回復しなかった。動画像を解析した結果、手掌全体の動きを用いた代償把握は回復するが、その後の精密把握への切り替えが起こらないことが明らかになった。このことから、指先の動きの回復には訓練を必要とする要素と、訓練を必要としない要素がある可能性が考えられる。
|