研究課題/領域番号 |
17083037
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研究機関 | 早稲田大学 |
研究代表者 |
近藤 一成 早稲田大学, 文学学術院, 教授 (90139501)
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研究分担者 |
森田 憲司 奈良大学, 文学部, 教授 (20131609)
櫻井 智美 明治大学, 文学部, 専任講師 (40386412)
鶴成 久章 福岡教育大学, 教育学部, 教授 (20294845)
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キーワード | 科挙 / 士人 / 地方学 / 墓誌 / 黄震 / 湖州 / 臨海 / 皇明貢挙考 |
研究概要 |
平成19年度の宋元明研究は以下のようであった。まず宋代では、宋元「四明六志」を材料に明州士人社会の歴史を探ると、北宋仁宗朝以降に独自の地域形成の歩みを辿ったことが知られる。ところが仔細にそれを観察ずると、その歴史は南宋後半期の明州士人社会が紡ぎだした自らの生成の物語であることが明らかになる。しかしまた、その歴史像がまったくの虚構かといえばそうではなく、物語の核となる「できごと」とその「記憶=記録」、そして後世の「記憶の解釈=記録の伝達」プロセスの検証の必要性を提起し分析した。 元代は、まず継続している史料構築作業の経過報告が行われ、本年度までに約1400件の資料を入力したが、「名寄せ」を進めれば1000強となるであろうとの見通しを示し、既刊拓影集の原碑主義の不徹底などの問題を論じ、併せて石刻の持つ「同時代性」という特性を基底とする「史料化」への提言を行った。さらに慶元路士人社会については『至正四明績志』所載の科挙登第者・郷試合格者について分析、先行研究がまとめる元代の科挙登第者全体の傾向と比較検討した。その結果、慶元における登第者の半ばがカルルクであることから、カルルク軍事・守備集団の慶元駐留とその後に注目し、カルルク以外の登第者がわずか二名にとどまる理由を考え、仕途が多様化する元代における科挙のあり方、それに対する士人の朗応の問題を考察した。 明代浙江の中で最も多くの進士を出した府は紹興府であり、それに次ぐのが寧波府である。さらに、これを県レベルで言えば、首位が紹興府餘挑であり、二位が寧波府の鄞県、三位が慈谿である。このように寧波府が明代の科挙制度上もっとも注目すべき地域の一つであることを前提に、寧波の科挙名族の「五世科第」の楊守陳(鄞県)などを紹介、最も著名な楊氏について考察を行った。
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