研究概要 |
初年度につき,まだメンバー全員の足並みが揃わなかったため,代表者の森安孝夫と研究分担者の石見清裕,藤岡穣,森部豊が中心になり,当初から予定していた多くの若手研究協力者から影山悦子,山下将司,中田美絵,鈴木宏節,西村陽子,福島恵,山本明志を選んで現地調査に帯同した.北京から長城を越えて山西北部の大同盆地に入り,黄河を横断して陝西北部のオルドス南縁部,寧夏,甘粛東端部を経由して西安まで,1500キロ以上を走破して景観調査を行いつつ,各地で北魏から唐・五代までの遺跡や出土文物に関わる機関をめぐった.主な調査遺跡・文物ないしそれらを管理・所蔵する博物館・研究所は,以下の通りである. 大同の平城(北魏の首都)の城壁と明堂遺址,大同郊外の雲岡石窟・方山永固陵(北魏の孝文帝・馮太后の陵墓),靖辺の統万城,銀川の寧夏博物館,銀川郊外の西夏王陵(西夏博物館)・拝寺溝仏塔,青銅峡市郊外の鉄勒人女性墓墓域,呉忠の明珠公園遺跡・北魏唐墓域,固原の寧夏固原博物館,固原郊外の須弥山石窟・隋唐墓群(特に史氏墓群)・開城遺跡,平涼の平涼博物館),西安の陝西省考古研究所・西安市文物保護考古研究所・碑林博物館・大明宮,西安郊外の昭陵・昭陵博物館・乾陵・華清池. 西安でつい最近出土した3つのソグド人墓(安伽墓,史君墓,康業墓)の美麗な装飾のある石棺床や墓門,さらに墓碑銘を直に実見・調査する事が許されたことは今後の研究に向けての大きな収穫であったが,早くも次のような具体的成果も得られた。(1)康業墓誌でソグド人に関わる大天主という称号を発見した.(2)固原がなにゆえにソグド人による遠距離交易や北からの遊牧民の侵入をくいとめる防衛の拠点になりえたか,その人文地理的理由を実感できた.(3)唐・太宗の昭陵で石製の十四国蕃君長像や六駿の安置される現場に立ってみて,新たな知見が得られた.(4)大唐故東平郡呂氏夫人墓誌によって,唐代霊州が現在の霊武市ではなく,呉忠市に置かれていたことが確実となった.(5)皐蘭州都督夫人墓の発見によって,8世紀初めに鉄勒・渾氏が皐蘭州都督に就任し,唐代にトルコ人を対象とした羈縻州の皐蘭州が青銅峡市付近に置かれていたことが確認された.
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