研究課題
4〜5世紀代の高句麗王陵に関する報告書が刊行され、高句麗古墳の副葬品の内容がある程度明らかになったことにより、5世紀第2四半世紀の日本列島に出現する騎兵装備、さらには時を同じくして普及し始める馬具は、やはり高句麗を含む中国東北地方を源流とし、韓半島を経由してもたらされたとする蓋然性がさらに高くなった。これに対し、生産形態は、それぞれの気候風土によって大きく異なってくるものであるが、斧、鋤、鍬のような生産用具類について検討すると、その器種や出土量の多寡は、日本列島では水田耕作を主とするのに対し、中国東北地方では畑作が主であることを如実に示していた。今年度は、文献等からも日中の直接的な交流を指摘しうる6〜7世紀についても検討をおこなった。副葬品に在地のほかに中原、北方、西方の要素が混在していることが指摘されている遼西地域の隋唐墓から出土した遺物を比較検討の対象とした。一例をあげると、隋唐墓の副葬品としてしばしば登場する銅製の帯金具は、これと同工のものが日本列島においても出土し、律令制において〓の大小が位階を表示するか否かといった点が問題にされている。隋唐墓には、墓誌が出土し、被葬者が明らかな場合もあり、また、帯金具のみならず出土した墓葬をあわせ比較検討することは、上記の問題を解明する手懸りにも繋がるものである。なお、隋唐墓の資料については、遼寧省文物考古研究所の協力を得て、データベース化を開始するとともに、遺物の実測にあたっては、非接触3次元デジタイザを活用した。