これまでに調査を実施してきた遼西地域の唐墓から出土した副葬品のなかで、施釉や加彩のある俑に使用された顔料等について元素分析をおこなった結果、顔料としては、水銀朱、鉛丹、鉛白、墨、さらには銅を用いていることが判明した。また、加彩俑にあっては、彩色の下地に鉛白を用いる場合があることも明らかになった。一方、頭部、胴部等をそれぞれ笵型を用いて成型した後、各部を組み合わせて製作する人物俑等の同笵関係の有無に関しては、非接触3次元デジタイザによって取得したデータを活用することにより、より確実性の高い結果が得られ、遠隔地の資料についても比較検討しうるとの見通しを得た。 次に、日本列島の墳墓副葬品にみられる外来の製品、あるいは源流が主として中国等に求められる製品については、直接的に日本列島にもたらされたもののほかに、高句麗や韓半島南部を経由したと考えられるものがあったことが明らかになった。前者は同工の製品が日中で出土しているもので、中国中原地域との結びつきを示す鏡や帯金具等がある。後者には、中国東北地域から高句麗の一帯を源流とし、韓半島南部を経由してきたと考えられる馬具や騎兵装備がある。後者のなかでも、5世紀の日本列島に出現した騎兵装備は、基本的に馬甲・馬冑を欠いていた。この重装騎兵の欠如は、中国や韓半島、さらには高句麗古墳の壁画に見られるような、高い城壁や土塁で囲まれた防禦施設が存在しないという、日本列島の事情を反映したものであった。したがって、騎兵装備は、列島内の戦いにおける、より性能の高い装備として導入されたと考えられるであろう。
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