研究概要 |
南海沖のフレート堺界面のすべりによっい起きた,宝永地震(1854),安政東海地震(1854)安政南海地震(1854),および相模トラフのプレート境界面のすべりによって生じたと考えられる元禄南関東地震(1703)について,新たに古文書史料が多数発掘され,既知史料の知識とあわせて,都道府県別の詳細震度,津波被害データベースを作成した。また,中央構造線のすべりによる地震は,これまでの歴史地震研究では知られていなかったが,1596年の近畿,愛媛県,大分県にかけて起きた3個の一連の地震は,中央構造線に起きた地震事例と考えられ,これは本研究における新たな発堀成果である。また,慶長9年12月(1603)の関東沖地震はこれまで現地における被害記録が知られていなかったが,房総半島南部でこの地震による津波被害記録が発見された。 分担者のうち中西,および草野は,京都,大阪での近世の都市を襲った災害事象としてこの2つの大都市の街区の詳細震度を明らかにした。また都司は元禄南関東地震による,房総半島,および江戸市中の街区ごとの詳細震度を解明した。 安政南海地震について,滑り面上での滑り領分布の不均一性はアスペリティーと呼ばれ,現代の器械観測データの得られる地震事例について盛んに論じられるようになったが,本研究では安政南海地震(1854)についてそのアスペリティーを検討した。その結果,この地震では,高知県西部の須崎市から足摺岬の南方海域でのすべりの量が際立って大きかったことが解明された。
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