研究課題/領域番号 |
17320002
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研究機関 | 新潟大学 |
研究代表者 |
佐藤 徹郎 新潟大学, 人文社会・教育科学系, 教授 (30092696)
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研究分担者 |
山内 志朗 新潟大学, 人文社会・教育科学系, 教授 (30210321)
鈴木 佳秀 新潟大学, 人文社会・教育科学系, 教授 (30154602)
栗原 隆 新潟大学, 人文社会・教育科学系, 教授 (30170088)
鈴木 光太郎 新潟大学, 人文社会・教育科学系, 教授 (40179205)
城戸 淳 新潟大学, 人文社会・教育科学系, 助教授 (90323948)
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キーワード | 空間 / 哲学 / 芸術論 / 思想史 / 空間認知 / 空間構成 / 身体論 |
研究概要 |
1.客観的で物理的な空間ではなく、人間にとっての空間の意義を考究するために、2006年12月2日に、新潟大学の鈴木光太郎教授、山形大学の小熊正久教授、専修大学の船木亨教授、首都大学東京の神崎繁教授を新潟大学に招聘して開催された公開フォーラム「空間と眼差し」において、「見る」という認知が成立するには、他の感覚のはたらきが重要であり、<見え>それ自体はきわめて錯誤に満ちたものであるとともに、むしろ<ハビトゥス>と結びついているものであることが明らかにされた。それはまた、「空間」を認識するには、人間の「身体性」を抜きにすることができないという把握に繋がった。こうした論点の成果を、『研究成果報告書』において、城戸淳が「カントの空間--身体・開闢・感情」を、鈴木光太郎が「バークリーの空間の哲学を実験する--モリヌー問題と倒立網膜像問題」を、栗原隆が「生きられる空間、もしくは世間という体」として報告している。 2.こうした共通了解は、2006年7月8日に「体験される空間と表象される空間」というテーマで、新潟大学で、デザイナーの矢萩喜従郎氏、放送大学の佐藤康邦教授、中央大学の須田朗教授、東北工業大学の野家伸也教授を招聘して公開フォーラムを実施したが、そこでの討議を通して、空間は、主観的にそれぞれの人間にとって構成されるものであり、体験され、表象されてこそ、「空間」が立ち現れることが明らかにされたことによっても拓かれていた。空間は、景観や建築物として、人間の外部において現前しているものであれ、人間にとって、外部環境に留まらない意味を持ってくること、すなわち生きる境地としての意義を担うようになることが改めて照射された。こうした成果として、これにより、進歩史観は、近代における進歩を謳う思想ではなく、むしろ<近代>を超克せんとする発想がその根本にあって、それを裏返しに表現したのがロマン主義であったことも明らかにされることになった。こうした研究の成果は、『研究成果報告書』において、鈴木佳秀が「聖所論から見た空間理解に関する予備的考察--古代イスラエル宗教思想からみたエルサレム神殿の意義」として、山内志朗が「ケルンに眠るドゥンス・スコトゥス--風土と哲学」として、堀竜一が「森鴎外訳『即興詩人』のローマ」として、栗原隆が「秋山郷を読む--景観美学への一試論」として報告している。 3.結局のところ、空間は、その場、その時に留まることなく、むしろ無限を内包しながら、人間の精神のうちに息づいていることを、『研究成果報告書』において、佐藤徹郎が「無限の空間」として、栗原隆が「拍子とリズムと空間と」として、番場俊が「絵画的平面の破壊--マレーヴィチ論ノート」として報告することによって、人間にとっての「空間」構成の意義を、科研費を受託した責任を果たすだけの研究成果を挙げ、総括し得たものと信ずる。
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