研究課題/領域番号 |
17320025
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研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
小佐野 重利 東京大学, 大学院人文社会系研究科, 教授 (70177210)
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研究分担者 |
木下 直之 東京大学, 大学院人文社会系研究科, 教授 (30292858)
浦 一章 東京大学, 大学院人文社会系研究科, 助教授 (90203596)
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キーワード | 日伊芸術交流 / 1880年代 / ファルサーリ / アレッサンドロ・ヅィレーリ / 横浜写真 / ヴィチェンツァ / エンリコ・ディ・ボロボーナ |
研究概要 |
2006年9月15日に写真家アドルフォ・ファルサーリと日本人女性ナガシマ・ハナもしくはハマ(?)とのあいだに、1885年11月9日に横浜で生まれたキク(イタリア名ローザ)が1890年6月1日から長いこと暮らしたドロテア女子修道院(Istituto Suore Maestre di Dorotea Figlie dei Sacri Cuori)に残されたキクの遺品の調査・写真撮影を実施した。調査した資料の一部に関して現在までに判明したことは、ヴィチェンツァ帰郷後のアドルフォの活動の一端を窺い知ることのできる彼自身が地元紙に寄稿したエッセイの分担者浦一章による翻訳と解題を併せて『美術史論叢』No.23(2007)に掲載した。キクの遺品は次の通り。 (1)横浜A.ファルサーリ商会の広告ちらしの貼り付けてある「日本の写真」アルバム1冊。(2)写真ガラス原板を収納する木箱5個(うち1個の蓋の内側に鉛筆で「Rosa Farsari」という書付け)。(3)ステレオ・ビューアー1個。(4)1888年11月9日に横浜のファルサーリ商会で父ファルサーリが撮影したキク満2歳の写真1枚と1890年10月4日にヴィチェンツァの写真商会Farina & Bolaによって恐らく女子修道院寄宿舎に入る前に撮影されたキクの写真1枚。(5)1934年6月1日付けのキク没後30日祭式の遺影入り告知葉書。(6)宝石の欠けた金の指輪1個。このほか、(7)1895年3月22日作成のアドルフォの遺言書副本と、キクの母の要請で駐日イタリア王国大使館とファリーナ女子修道院院長とが交わした書簡5通(1908-09年)。(8)キクの所蔵品に違いない『中島春郊先生画 今様美人』木版画帖(青木嵩山堂 明治28年刊)。女子修道院寄宿舎入舎の記録およびアドルフォの遺言より、キクの母の姓はナガシマではなくナカジマであったことが判明し、(8)の画帖の画家中島春郊がその親戚である可能性が浮上した。目下この画家の素性調査中である。一方、ツィレーリ伯爵の日本滞在日記の書写・翻訳作業は続行中である。
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