本研究の目的は、中米グアテマラ共和国のパシオン地域のアグアテカ遺跡およびセイバル遺跡をはじめとする周辺遺跡に住んだ支配層と農民の住居跡の発掘調査で出土した遺物の分析を通して、古典期マヤ人の日常生活と社会経済組織の基礎的研究を実施することである。特筆すべきことに、第4回(平成19年度)日本学術振興会賞と日本学士院学術奨励賞を受賞した。先古典期中期の前半(前1000〜前700年)のセイバルの住民は、グアテマラ高地から黒曜石を自然石あるいは大きな石片として搬入するとともに、黒曜石製石刃を完成品としても入手した。先古典期中期の後半(前700〜前400年)のセイバルでは、政治経済組織が複雑になって黒曜石製石刃核が搬入され、地元の半専業的な石刃工人が、押圧剥離による石刃の生産を開始した。パシオン地域の支配層は、古典期前期(後250〜600年)と古典期終末期(後830〜1000年)に、黒曜石製石器をグアテマラ高地からだけでなく、少量ながら遠距離交換網を通してメキシコ高地からも搬入した。地元産チャート製石槍は古典期前期に生産され始め、パシオン地域で戦争・抗争が増加した可能性を示唆する。古典期後期(後600〜830年)のアグアテカ都市中心部では、書記を含む支配層が、主に実用品であった石刃を生産した。自らが支配層に属し書記を兼ねる工芸家が、世帯内の消費のためだけではなく、王をはじめとする世帯外の他の支配層のために美術品と実用品の両方を半専業で生産した。さらに支配層の女性は調理だけでなく、古典期マヤ文明を構成した様々な美術品や工芸品の生産の一翼を担った。アグアテカの古典期マヤ社会では、世界の他の古代文明と同様に、「真の専業工人」は存在しなかった。支配層を構成したアグアテカの男性と女性の工芸家は、異なった状況や必要性に柔軟に対応して複数の社会的役割を果たしたのである。
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