研究課題
9月9日から18にかけて、四川省木里県俄亜村における現代の石范を使用した鋳造の事前調査を中井・宮原で行う。俄亜村に入るには雲南省から入る方が楽なため、の麗江を出発点として4000mの峠を馬で越えて入った。納西族の村である俄亜村では、東巴の伝統が色濃く残っており、鋳造作業は年に一回行うのみで、来年の鋳造を行う日も東巴の経典で占って決められた。鋳造に関わる道具は一応観察することができた。丸太をくりぬいた鞴や石の范(梨)溶解炉の一部等が見られた。周辺の村では石范をやめ土製范に切り替えておりできるだけ早い時期の観察・記録が必要である。2006年8月10日に鋳造することが決まった。俄亜付からの帰路により楽な通があるとの情報を得そのルートをたどったが非常に険しい道のりであった。これにより後述する曲靖での鋳造見学の初日には間に合わなかった。菅谷・後藤・三船は19日から曲靖市において約10年前まで行われていた石范鋳造の再現に立ち会う。これを紹介された王大道氏がコーディネイトして下さる。石范の製作には相当の時間が必要と考えていたが、1日で仕上げてしまった。充分乾燥させた石范を加熱することもなく注湯してしまった。石范使用もさることながら、溶解炉の形態にも見るべきものがある。これは王氏が詳しく報告されているが、炉底を坩堝をかねている。現代の坩堝は炉の中から大きな鉄製品で燃えさかる炎の中から取り出すが、こういった大型の取り出し道具が無い時代にどのようにして溶解した金属を取り出すのかという大きな問題を解決する糸口となるであろう。