今回の調査は中国・福建省平和県、龍岩市、連城県、長汀県と北上し、江西省との省境に位置する街・村を対象として実測及び聞き取りによるサーベイを行った。 本調査における成果は、かつて客家が遷移した過程で結節点となった長汀に主に滞在し、民居以外にも、住居付き商店街、屋根付き橋、土楼による集落といった、客家が残した建築の内、様々なバリエーションの事例の実測及び生活のありようの調査、そして、それらと周辺地域との関連性について考察し記録出来たことである。 客家土楼民居は、地域の限られた材料と労働力を用いた普遍的で合理的な構造と構法(生土-シュントウ-建築と呼ばれる土壁と木造による構法)と風水思想による建築計画を見ることが出来るが、商店街や屋根付き橋等からもまた気候風土を考慮した高い技術力を知ることが出来た。それらは実測し、図面化して記録した。 今回の調査における最も大きな特徴は、建築学的視点からの調査にとどまらず、共同研究者である各専門家がそれぞれの視点を持ち、調査にあたったことである。 東京芸大デザイン科尾登誠一教授は、プロダクトデザインの専門家として什器及び生活雑貨を調査し、より生活者に近い視点からの考察と記録を行った。中国側共同研究者である福建省建築院黄漢民教授とは、客家遷移の過程における住居形式の変遷について意見を交わすことが出来た。黄教授の見解は、我々にとっても考えを共にするものであり、さらに詳細な住居形式の変移について考察することが出来た。同じく共同研究者の上海・復旦大学李双龍助教授は、社会学的視点からの調査考察により、客家がかつて言われていたように先住民との不和によって定住地を探し続けたことが、彼らが中国各地を遷移した理由のすべてではなく、客家が移り住んだ当初は、彼らの持つ高い建築技術と生産技術により、各地の生活レベルの向上に寄与したという形跡を確認した。 中国は現在、近代化の大きなうねりの中にあり、その波は地方の地域にもおよぶ。今回調査した福建省山間部にも近代化の影響が現れつつある。近い将来、今回調査対象とした事例の数々は失われてしまうかもしれない。我々が調査し記録した資料は、客家の歴史を知るものとして、日中両国の重要な記録になると思われる。
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