研究概要 |
ヒトが外界における対象物の運動知覚を行う時,そのほとんどを視覚情報に頼っている.しかし,対象物にはたらきかける運動行為(例えばボールを打つ・捕るなど)においては,対象物の運動知覚のために行為者自身の身体運動感覚(関節位置や運動,空間の方向性などの固有受容感覚)情報が巧みに利用されている可能性が指摘されている.この仮説を検証するために,本研究では追跡運動課題を用いた一連の実験を行った.追跡標的(ターゲット)は,被験者の前面,床に対して垂直に設置されたスクリーン上に提示された.スクリーン上を右から左へ等速運動するターゲットの軌跡の後半部分は遮蔽され,被験者はスクリーン面に平行に置かれた追跡操作盤のレバーを手で動かしてターゲットを追跡した.このとき,被験者は遮蔽区間内のターゲット位置を判断することが要求された.実験の結果,手の位置の視覚情報が追跡運動の途中で失われると,遮蔽区間中のターゲットの位置判断の正確性は低下した.その原因として,手が動いている場合,身体運動感覚のみによる手の位置知覚の精度そのものが低い可能性が考えられた.そこで次に,身体運動感覚のみよる手の位置知覚の正確性を測定した.被験者はターゲットを追跡しながら,ターゲットでなく被験者自身の手の位置を判断することが要求された.手の位置に関する視覚フィードバックが全く与えられなかった場合,被験者は手が実際に移動した距離を有意に過小評価した.本研究において得られた最も重要かつ興味深い知見は,ターゲット追跡運動開始直後に,手の運動とターゲット運動の互いの空間的関係に関する視覚情報が一旦与えられると,その後はその視覚情報がなくても身体運動情報のみによってターゲット位置判断と手の位置判断の正確性が向上したことである.このことは,対象物の運動知覚において行為者自身の身体運動感覚情報が利用される可能性の仮説を部分的に支持する.
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