本研究は、1900年代初頭における学校衛生を管轄する政府レベル組織の一時的後退の後、再び学校衛生施策が復活してくる1920年前後から、地方レベルにおいて学校衛生施策が展開される中で、「衛生室」を中心とした学校衛生施設・設備がどのように整備されていたか(校舎内における配置や衛生器具・備品の整備状況)をとらえると共に、その活用の様子から「衛生室」における学校医や学校看護婦の活動状況をとらえる作業を行った。さらに、大正期から昭和前期にかけて実態化していく学校看護婦の実践状況を当時の学校看護婦向け雑誌『養護』の誌面から読み取る作業を行った。これによって、保健室の前身が、明治期の「医務室」から予防、相談、衛生指導などをも含む多機能な「衛生室」へと変化したこと、そこでの学校看護婦の仕事の質(子どもに向けるまなざし)が、身体的・外面的なものから子どもの内面や成長に向けられるように変化している様子をとらえることができた。 第二次大戦中および大戦直後に養護訓導・養護教諭として仕事をしていた元養護教諭10数名への聴き取り調査によって、戦後初期の養護教諭たちの学校における仕事ぶりを当人たちの語りを通してかなりリアルに再現することができた。これによって、養護教諭が直面した戦後直後の混乱期における子どもの生活と健康の様子、そしてそに対応した養護教諭の実践状況の一端がリアルに把握でき、戦後新教育と呼ばれる実践的模索の中で養護教諭自身もかなり創造的に取り組んでいる様子をとらえることができた。 養護教諭の学校における実践の全体像とその構造的把握の理論的試みでは、1980年代以降の急速な発展を踏まえた分析を通して、今日的水準における実践構造を整理することができた。今後、大戦前・大戦後・1980年代以降をつないで、保健室と養護教諭の実践レベルにおける歴史の全体像を描く作業の基盤ができたと考えている。
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