家計調査資料からは作成できない戦前の人々の生涯家計とその生活史を、長期家計記録(事例)から明らかにしたのが本研究である。この家計記録は、U家の世帯主K氏が大正6年から昭和18年までの27年にわたり、大福帳形式で記録した12種類の帳簿からなっている。 この帳簿の分析結果からは、まだ都市と農村の生活水準の格差が著しがった時代の養蚕農家の貧しい消費生活の様子が明らかになった。とりわけ帳簿に記載が全くない家事消耗品(台所洗剤・たわし等)や理美容品(シャンプー等)が、自然素材(かまどの灰や粘土・うどんの煮汁等)によって賄われていたこと、その反面、多くの記録がある家事用品修理代(刃物、なべ等)が、刃屠屋・鋳掛などによって行われていたこと等、環境問題のなかった時代の消費生活の様子が明らかになった。 その一方でU家の際立った資産購入の多さからは、小作農であったK氏が次々と田畑や山林を購入し、やがて小作料を得るようになっていった姿が明らかになった。このような家計行動をとった要因として考えられたのが、K氏がたどった時代の社会経済的背景である。都市と農村の経済的格差が大きかった時代、その底辺にいた小作農のK氏にとって地主になることは夢であったこと。また、当時K氏のような農家の次三男にとって軍隊に入営することが絶好の就労の機会であり、それによって若干の蓄財を得たこと、さらにK氏が退役した翌年(大正3年)、第一次大戦による好景気で株式市場は高騰、多くの成金といわれる人々が出現した時期であったことなどが、K氏の金融・投資に対する考え方を強固なものにし、田畑購入を可能にしたものと考えられた。しかしながらK氏が逝去した3年後の昭和21年、「自作農創設特別措置法」により農地解放が行われ、K氏が長い間、額に汗水して購入した田畑は、二束三文で政府に買い取られてしまうことになる。本研究からは、時代に翻弄されながらも地主になることを夢見て必死に生きた戦前の一小作農の家計とその生活史が浮き彫りになった。 以上
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