本研究で発掘を試みた資料のうち、『学芸』の最終号については発見することができなかった。 未入手(未発見)であった「唯研ニュース」の7号、9号、16号と『ダイヂェスト』の89号、90号、91号、92号の発見を試みたが、そのうち1号だけを発見することができた。それは『ダイヂェスト』90号(1938年5・6月合併号)である。福岡で発行されていた月刊誌『科学評論』の発見を試みたが、創刊号(1936年10月5日)、第2巻第1号(1937年1月)、第2巻第5号(1937年5月)の三冊を発見することができた。月刊誌『生活科学』の発見も試みたが、以下の6冊、1942年1月号、1942年6月号、1942年10月号、1943年3月号、1943年4月号、1944年1月号を入手することができた。 本研究をすすめるなかで、戸坂潤の『全集』未収録文献17編を新たに発見することもできたが、それ以前に発見していたものとあわせて、筆者が発見したものは23編に達した。また、戦時下の科学啓蒙書についても、「生活科学新書」や「国民科学新書」以外にも多数存在したことが明らかになり、それらのほとんどを収集することができた。収集したのは、「科学の泉」や「少国民のために」など10シリーズについて、約120冊である。 これまでに収集した資料について、主にまだ「総目次」が公刊されていない雑誌について、その「総目次」を作成した。『科学ペン』『科学文化』に関してはすべての総目次を、「唯研ニュース」『ダイヂェスト』『科学評論』に関しては発見・収集できたものについて、「総目次」を作成した。さらに、もう一つの月刊誌『科学文化』について、および今野武雄の戦時中の歯車研究の特徴について、「生活科学新書」の特徴について、明らかにすることができた。 戦時下の科学論・技術論をめぐる議論を網羅し、多様な展開を追跡・整理し、それらの全体像を示すことは、また入口の段階にどどまった。しかし、そのたの重要な基盤を確立することが、本研究によってなされたといえる。
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