川名は東欧、特にポーランドのユダヤ人の歴史を中心に据え、彼らのインターフェイスとしての役割について考察した。マールブルク、ワルシャワ等の東欧やユダヤ人の歴史にかんする研究所の訪問、およびそこでの文献、資料の調査や、当地の研究員等との意見交換を通じ、ポーランド社会におけるユダヤ人の仲介者的役割について、ある程度具体的な心証を得た。またその過程で、分割前ポーランドにおける多民族共生の結節点には、ユダヤ人以外の要素も複数存在する事に気付かされた。 田村は、イスラーム地域のズィンミーの研究を進めてきたが、昨年度は特にイスラーム地域とヨーロツパ地域におけるユダヤ教徒/人の存在様式の比較を焦点とする研究をおこなった。その検証のためにヴェネツィアを始めとして、イタリア各地のユダヤ教徒共同体の軌跡を回り調査をおこなった。これにより、ズィンミーという枠内ながらもイスラーム共同体に組み込まれたユダヤ教徒のあり方に比べて、ヨーロッパでは、一口にユダヤ人といっても各都市支配層の政治経済的需要により待遇の変転が大きかったこと、また、スファラディームとアシュケナジーム共同体間のネットワーク・ノードの格差が非常に大きかったことなどが判明した。さらに日本国内のマイノリティ研究との比較を進めるべく、大阪人権研究センターへ赴き資料収集をおこなった。 内田はフランス東部の国境地域(フロンティア)がスイス側の2つの中核都市バーゼルとジュネーヴの凝集力によって国境を越える経済関係をもちえた事情を解明し、ヨーロッパの近現代史のなかに位置づけた。現地での史料収集ならびに現地の研究者との意見交換を通じて、前者については「レギオ・バジリエンシス」、後者については「レギオ・ゲネウェンシス」という経済空間がフランスとスイス(ないしドイツ)をつなぐインターフェイスとして機能した点を追究した。
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