平成18年度末にとりかかっていたインタビュー調査を年度初めに継続し、そのうちのお1人の紹介によって聖バルナバ助産師学院図書室で資料収集を行うことができた。同図書室には、報告書で言及しているが、助産婦たちの実地指導への意識調査、「人体モデル」、認定講習会等について、貴重な資料が数多くあった。その後、インタビュイーの方々にいただいた資料を整理しなおし、関連する、あるいは提供された資料を裏付ける太阪府の戦後の統計や行政資料等を調査した。そのほか、東京の社団法人日本家族計画協会所蔵の資料も参照した。この途中で、戦前の大阪での産児調節運動および社会事業、保健衛生行政等とのつながりが推測されたため、戦前の関連資料を調査した。大阪市立中央図書館と大阪府立中之島図書館のほか、大阪府公文書館、法政大学大原社会問題研究所所蔵の社会運動関運資料等を収集した。その結果、第一に、1957年には、大阪府(大阪市を含む)にはおそらく550人前後の、府・市保健所嘱託の受胎調節実地指導員が存在した。第二に、1952年の受胎調節実地指導の予算化以後、大阪婦助産婦会で開業助産婦対象に行なわれた認定講習会と、同会によって委嘱された開業助産婦による実地指導が府下では家族計画の普及に画期的な役割を果たしたが、それらは保健所(優生保護相談所)によって主導されていた。第三に、戦前について調査すると、保健所が産婆を巡回させるルートが国家総動員法の体制下で進行していたこと、労働者の産児調飾運動の影響下で職場組合・業種組合単位で産婆が嘱託されることが増えていたことなど、戦後の助産婦による家族計画指導ルートの前身と思われる事実が見つかった。
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