哲学史的な研究としては、コンディヤックの『動物論』の翻訳を、ビュフォンの『博物誌』と照合させつつ完成させた(今秋刊行)。この過程で、コンディヤックがラ・メトリとは対極的な「唯心論的」な仕方で人間と獣の魂の機能的連続性を主張し、進化論的発想を先取りしているという意外な発見を得た。また、模倣能力こそが人間に豊かな多様性をもたらすという卓抜な模倣論が、現在ドーキンスやブラックモアらが取り組んでいる文化的模倣子(ミーム)論を予告するものであることを確認し、これらをいくつかの論文などに発表した。また、現代の哲学的倫理学において進化倫理学の占める位置を見定めるために、これの支持派のルース、批判派のソーバー、ゲヴァースらの未邦訳文献を読解した。これらの詳細は省くが、かつての社会ダーウィニズム(スペンサー主義)の「悪夢」からの連想で、倫理学と進化論の接触を反射的に忌避し、進化論的倫理学の構想自体を「自然主義的誤謬」の一言で退けうると考えるような態度はもはやとれないであろうということは、十分に確認することができた。ムーアの社会ダーウィニズム批判の正しさを認めつつ、同時にその「反自然主義的誤謬」をも乗り越えるためには、生物的進化と文化的進化の相互に緊張したロジックを視野におさめた広義の自然主義的・実在論的倫理学の構築が求められるという見通しを得た。この作業はまだ緒についたばかりであるが、戦争論を切り口にして進化論的人間本性論を批判的に検討した発表論文は、その方向を示すものである。また自然選択では説明できない入間の文化や思考を、性選択・ないしは共同体選択とでもいうべきパラダイムで読み解こうとするバーリングやミラーらの仕事を18世紀の言語起源論と重ねながら読み、多くの示唆を得た。(その成果論文は今秋刊行。)またこの間、終末期医療に関して社会的に発言したが、それも以上の研究と深く関わるものである。
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