1 研究の目的 本研究は、フッサール現象学に対して批判的な距離を取りつつ自らの哲学を確立したアドルノとデリダを比較し、超越論の可能性という観点から彼らの芸術論を検討することを目的とするものである。 2 今年度の研究実績I 今年度達成された研究実績の一つは、アドルノの『認識論のメタクリティーク』における超越論への批判と、デリダの『声と現象』における超越論への批判の比較である。アドルノは超越論的主観性が同一性哲学としてのフッサール現象学を支えていると批判し、『アルバン・ベルク』においてベルクの作曲は主観の力によって主観を越えたものへと主観を投げ返す行為であるとする。デリダもまた、意味の回復を求めるフッサール現象学は、非表現的なもの思考できないと批判する。つまり、両者ともに、超越論的ではない超越(アドルノは非同一性、デリダは痕跡)について思考する。 3 今年度の研究実績II フッサール現象学における超越論に対する以上のような哲学上の立場を踏まえた上で、アドルノとデリダの芸術論において、「超越論的ではない超越」が芸術作品の分析において具体的にどのように語られているかについて検討するのが、今年度の後半における研究の主要課題である。アドルノの音楽論の検討の準備段階として、音楽を単に作曲的・楽理的立場からではなく、同時に演奏者における「呼吸する身体」という視点から捉え直すことを試み、アジア音楽や日本の芸能などを手掛かりとしながら、作曲による時間的経験を統一する形式的構築を、音楽における「呼吸する身体」における「肉体的呼吸から音楽的・文化的呼吸への移行」として捉えることの可能性について検討した。 4 以上から得た暫定的結論 作曲における超越論的なものとしての形式的構築性は、超越論的なものではない感性的なものによって充実しているのではなく、逆に感性的なものからなされる構築行為によって形成されるものであり、生成的かつ表現的なものであると考えられる。
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