本年度前期は、「物」(「経験的対象」)の「外在性」の認知に関するバークリの見解を検討した。ここでとりわけ重要になるのは、『新たな視覚理論のための試論』における彼の議論である。この議論は、知覚に関するロックの見解をさらに発展させたものとして捉えられるが、その議論においてバークリが行う外在的認知の説明が、外界を心の内なる観念とする彼の見解とどのようにかみ合っているかを、いわゆる「モリニュー問題」の諸議論をも念頭に置きながら、解明した。この試みは、観念を「心の内」なるものとするロックとバークリにおいて、その「心の内」という言葉が何を意味しているかを明確にしようとするものであり、これによって、長きに亙って私とJohn W. Yolton教授との間で続けられてきた論争に終止符を打つことが、同時に目指された。 本年度後期は、以上の検討結果を念頭に置きつつ、ヒュームの観念説の読み直しを開始した。ヒュームは物質を否定するわけではないものの、観念説においては、懐疑論的立場を取ったことで知られる。だが、彼が、同時に、物質の存在をかえって自明のこととしていたことにも、近年、改めて、研究者の関心が向けられている。こうした状況を考慮しつつ、「印象」と「観念」から議論を開始しようとするヒュームの観念説の背後に、いかなる論理が働いていたかを、明らかにするよう試みた。とりわけ、因果性の観念に関するヒュームの見解に焦点を当て、ロック的な自然主義的論理空間がそこにおいてどのような変化をこうむっているかを明らかにするよう試みた。
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