研究概要 |
本研究は,マクタガート以来の分析哲学における時間論を手がかりにしつつも,そこでの暗黙の前提である「時間の線イメージ」に依拠することなく,時間様相を解明しようとするものである。今年度は「出来事個体」に関する検討の成果を踏まえ「過去」と「現在」について考察した。 論文「過去の確定性」において,過去が変わらない(或いは変えられない)ということの源泉を,出来事個体という存在者の消滅不可能性に求めた。想起内容に出来事個体への指示が含まれるのに対し,予期内容には出来事一般への指示しか含まれない。出来事個体は過去に関してしか存在せず,一旦成立した出来事個体は変化することも消滅することもない。次に,この議論を踏まえ,論文「現在は瞬間か」において,「現在に幅があるか否か」という問題について考察した。即ち,「現在が過去に移行するとき時間が経過する」ことは自明だが,その逆の「時間が経過するとき現在が過去に移行する」ことは自明ではなく,それゆえ,「現在が瞬間である」ことも自明ではない。「我々の経験の場としての現在」において新しい変化が次々に生じては消えて行くが,この現在には幅があるともないとも言えない。しかし,消えていく変化を一つの出来事個体として指示することによって「変わらないものとしての過去」がそこに出現し,それに応じて「過去でないものとしての現在」が現れる。この現在はその都度異なる幅を持つ。 「出来事個体」という概念については,論文,「出来事の同一性に関するデイヴィドソン説とクワイン説」および発表「出来事の同一性について」(科学基礎論学会2005年度大会),発表「出来事とはいかなる存在者か」(日本哲学会第64回大会)において主題的に検討を加えた。また,発表「出来事と時間」(西日本哲学会第56回大会)において,出来事論と時間論の関連についてさらに検討を加え,「経験の場としての現在」について考察を深めた。なお,論文「「見かけの現在」について」ではウィリアム・ジェイムズの心理学における「幅のある現在」について調べた。
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