アリストテレス『政治学』第1巻第2章での議論構造を精査することを通じて、人間が「自然によって」ポリス的(国家)動物とされ、ポリス(国家)が「自然によってある」と主張される時の、「自然」の内実を明らかにすることを試みた。 アリストテレスは、家→村→ポリス(国家)という発展過程をたどることによってポリスが自然によってあるものであることを示すが、家が人間の自然本性に根ざしたものであるが、そのレベルではまだ実現できない人間の本来あるべきあり方を実現するものとして、さらに大きな村が、そしてポリスが形成され、ポリスの段階において自足性という要件が完全に満たされる。それゆえにこそポリスは自然によってあるものであるこのような議論構成によってポリスの自然性が示されるのであるが、その場合の自然性は、目的論的に捉えられなければならず、(「ポリス的動物」という言葉が適用されることもある)蜜蜂が本能によって共同して巣を作るのとは異なっている。しかし、そのように理解した場合には、家が「自然による」という場合の自然とは意味が異なるように思われる。特に男女が生殖を目的として「自然によって」対を為すという場合の「自然」とは意味合いが異なることになり、論証として不整合が生じることになる。しかし、アリストテレスにおいて家は人間以外の動物におけるつがいとはことなり、ポリスの政治の選考形態的なものを含んでおり、単純に自然本能によるという意味で理解すべきではない。さらに、人間が「ポリス的動物」とされる場合も、蜜蜂が『動物誌』で「ポリス的動物」とされるのとは違った意味外があり、単に本能によって共同活動をするというだけでなく、自らが政治に参与することによって自分自身に関わる決定について関与できるという点で、質的な違いがある。
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