日本の伝統的な知の歴史を、思想史的(古代から近代までを通史的関心)に描くという哲学的倫理学的試みは明治期に始まった。素朴ありのままの知をそのままでは「知」とよべず、そのため伝統的な知にむかう思想史研究は、近代的知として、外部的知を纏うことで、全体的知(哲学的原理と日本という存在への哲学的態度)を向かう知への志向として始まった。本研究では思想史の創設から終戦までに限定した対象として、その上で前史および戦後から最近に至る思想史研究からその知のあり方をさぐる方法的視点をつくる道を探るものである。 これまでに行ってきた研究を通じて4ないし5の方法的区分をとる視点を大方えられた。それは(イ)ドイツ文献学から解釈学を意識的に学んだ芳賀矢一、村岡典嗣、和辻哲郎、(ロ)唯物論マルクス主義にたつ永田広志、三枝博音ら、(ハ)漢学・東洋史学だけでなく西洋文化史等の摂取の中で、国民思想の研究をまとめた津田左右吉、(ニ)現象学・新カントの摂取によって通史的日本思想史を構想し現象学的方法の萌芽をしめした土田杏村、(ホ)そして、戦後の思想史研究の方法論を、近代日本という総体への関心として育んでいた丸山真男の戦中での方法論の形成である。それらについて、(1)これらの問題点を整理し、(2)各潮流の日本思想史研究の、原理的立場(哲学的倫理学的原理と日本という存在への哲学的態度をふくむ)とその思想史像との連関をより明確にし、両者を統合する知のあり方を明らかにし、(3)各潮流の影響関係、対抗関係を整理考察し、(4)そうした知的状況のなかでの、あらためて和辻の名を冠せられ、その圏内で議論されてきた倫理思想史的方法、思想像、倫理学を批判的に吟味した。加えるに、可能な限り、日本思想史研究成立の前史(西村茂樹・井上哲治郎等)との関係、ついで戦後の思想史、とくに丸山真男批判以後から最近に至る一国思想史批判、自己言及的思想史批判をその歴史的位置づけと知の様態までに視野をひろげ分析し、それに対する日本倫理思想史的視点からの対抗的立場を、位置づけた。
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