本年度当初の計画ではく『哲学的世界観』と『宇宙における人間の地位』(ともに1928年)における後期シェーラーの「哲学的人間学」について、1)その内実と生成過程とを整理する、2)ポパーの「三世界論」や「進化論的認識論」と対比することによって、その現代的意義を評価する、というふたつの観点から研究を進めることになっていた。1)については計画通りに研究を遂行できたが、2)についてはやや計画を変更して、ポパーの思想のみならず、進化論に基づく 「比較認知科学』の今目的な成果を参照することによって、シェーラーの人間学を評価するという作業をおこなった。その概要は以下の通りである。今日の進化論的認識論や比較認知科学の成果によれば、人間の認知機能は動物のそれと連続したものとされる。したがって、「精神」をもつ人間と、他の動物との間の断絶を強調するシェーラーのような考え方は、キリスト教の影響下にある「人間中心主義」であると批判されることになろう。私は、シェーラーの議論がこのような批判に相当するのかどうか、詳しく検討した。たしかにシェーラーの人間学はキリスト教の影響を受けているが、それは有神論的なものではなく汎神論的なものである。シェーラーによれば、宇宙は、人間もその一部として包摂するような動的な進化の過程にある。宇宙進化の過程において、宇宙の一部である人間は宇宙や自己を認識していくのであるが、それはすなわち宇宙が人間を通して自己自身を認識・実現していく過程にほかならない。この意味で、人間は宇宙進化が完成するうえで重要な役割を担っている。シェーラーが人間と動物との間の断絶を強調するのは、このような形而上学によるのであり、単に認知能力の比較に基づいてのことではない。したがって、上記のような「人間中心主義」という批判は部分的にしか当てはまらないのである。以上の研究成果は、論文「マックス・シェーラーの「哲学的人間学」再考-「人間中心主義」をめぐる問題」(「研究諾表」欄に記載の共著図書に所収)にまとめられた。
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