この研究の目的は、18世紀ドイツ哲学、特にカント哲学において「国家的(staatlich)」とは根本的に異なった「公共的(offentlich)」の理解が「理性の公共的使用」に即して成立してくるが、その成立過程を「法的なるもの」と「政治的なるもの」との相克という観点から前批判期における「教育」の担う役割を分析し、それが「政治的なるもの」として国家を改善する機能を持つことを解明することによってここに「国家的」次元とは異なった「公共的」次元が開示されたことを論証すると同時に、それが原型となり批判期に移行して「理性の公共的使用」の論理を形成することを『純粋理性批判』などのテクストに即して明らかにするところにある。すなわち、ハーバマスが『公共性の構造転換』の中で析出した「公共性の構造転換」とは異なった、あるいはハーバマスが見失っていた「もう一つの公共性の構造転換」の領域としての「教育」を解明する手掛かりがこの研究によって獲得された。いま「ハーバマスが見失っていた」と書いたが、『公共性の構造転換』では不思議なことにベルリン啓蒙主義やバーゼドウなどの教育学的議論に関する分析が欠けており、その意味でこの研究はその不在を埋めるための橋頭量を確保することを目指したものでもあった。これらの問題は研究期間中に公刊された加藤泰史執筆の諸論文で模索されさまざまに検討が加えられたが、最終的には研究成果報告書に掲載された、加藤泰史執筆の論文「理性批判と公共性の問題」に集約された。
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