中国近現代大同思想とは、中国が欧米思想との接触によって、それを自国文化の中に吸収し、改めて思想としての普遍性を付与して、来るべき将来像として提示したものであった。筆者は、先にその原型として、康有為の大同思想の形成とその影響について調査しているが、今回はその同時代の類似した思想として、清末の中国淅江省温州にて独自の思想営為をした陳〓と、民国の国民革命のさなかに孫文主義の発揚として「大同共産主義」を主張した朱謙之の思想を発掘し、その周囲の思想状況の調査とあわせて、中国近現代思想史に新たな知見を加えることができた。 まず、陳〓は、温州瑞安県の医師であったが、康有為より早く1883年に『治平三議』を著し、ここに中西を統合した世界政府構想を示して、後の改革論者に大きな刺激を与えた。これには温州開港により、布教に来たキリスト教の牧師や西洋商人が関係していたが、その思想内実は伝説の中国最初の皇帝・黄帝の伝承を踏まえたものであった。 また、清末1900年代には、孫文らの革命派の思想も、劉師復らの無政府主義者の思想も、それが真の大同思想だとされて、鼓吹されていくが、孫文死後の国民革命では、それまでの国共合作をやめて、共産党を排除する独自思想として大同思想が高く掲げられた。その典型が、民国初期の無政府主義者・朱謙之が、1926-1928年に書いた『大同共産主義』『国民革命与世界大同』『到大同的路』三部作であり、これらは共産中国の成立とともに歴史の闇に消えていたが、毛沢東の人民公社運動の中で再び形を変えて出るものでもあった。
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