次のように分担して作業と考察を行い、研究成果報告書にまとめた。 小林:1.章炳麟の「自主」観念の歴史的背景を知るために、libertyとutilityの理解について、19世紀中国の漢英字典・英漢字典類や明治期の英和・和英辞典類に見える漢語訳、libertyとutilityについての清末の理解や明治期の理解を調べた。2.章炳麟の「自主」観念の独自性を知るために、梁啓超の「私徳」論に対する章炳麟の批判を考察した。その結果、3.章と梁との間には、倫理観の相違をこえて、現状に対する問題認識の近さや共振とでもよぶべきものが存し、従来のように、両者を政治的立場の相違だけで見るべきではないこと、4.章の「自主」の思想は、近代的個人主義にいう個人を重視するものではなく、また自他の融合を目指す点で、伝統的な公私観の枠組みを超えるものではないことが分かった。 佐藤:1.梁啓超に対する井上哲次郎の影響は従来の説より早く、「中国積弱溯源論」(1901年5月)にまで遡ることが、井上のオリジナルである「小我」という用語によって判明した。これにより『新民説』における「公徳」「私徳」概念の国家主義的な受容にも大きく影響を及ぼしている可能性が大きくなった。2.梁啓超の「論公徳」発表時(1902年)、日本では、教育界・思想界で「公徳といふ語はハイカラといふ本年の新語と共に、一時の流行とさへ」なっており、彼が日本思想界の動向に敏感であったことが判明した。3.清末の功利主義を朱子学以降の中国思想史の中に位置づけると、朱子学の正統から排除されながらも、「経世致用の学」の系譜の中に解釈されうることが分かった。特に清末(章炳麟・蔡元培・劉師培・胡適)では、戴震を「功利主義者」として位置づけている。
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