研究概要 |
クマーリラは,「虚偽を語るべからず」という祭主の斎戒を定めたヴェーダ規定文は祭式の文脈に留まって,祭式の式次第の一部を定めていると解釈すべきなのか,あるいは祭式の文脈を離れて,人間個人の義務を定めていると解釈すべきなのかという伝統的な問いに,文中の定動詞は行為主体を表示するのか否かという詳細な議論でもって答えている。論文「祭式で虚偽を語ってはならないのは何のためか」は,クマーリラによる議論が,この問いにいかにして答えたことになるのかを解明した。行為主体の代わりに,意志的行為一般の形式であるbha^^-vana^^-(現実化作用)が定動詞接辞の表示対象となることで,規定文の意味の中核に位置付けられたならば,規定文を他の規定文との関係の中に組み込んで,祭式の式次第の一部として,文脈の中で理解することの必要性が理解され,多くの儀礼行為を階層的に組み込んだ祭式システムの構築が可能となるのである。 もう一つの論文「クマーリラによる定動詞接辞の表示理論について」は,クマーリラによるこの議論の主要部が「人称語尾により表示されるものは行為主体の数である」という主張の証明に費やされているのは,パーニニの文法体系が「能動態および反射態の動詞人称語尾は行為主体を表示する」という帰結を導くため,これに屈服しないように考案された,動詞のL接辞規定と数表記の規定とを結合するというミーマーンサー学派の文典解釈を受け継いでいることを解明したが,同時に,「定動詞接辞によるbha^^-vana^^-表示」が学派の標準説であったにもかかわらず,行為主体の数を表示することになった人称語尾の代わりに,bha^^-vana^^-を表示する接辞とは何であるかを,遂に明確にしていないことをも解明した。それゆえ,定動詞の内部におけるbha^^-vana^^-の表示部位をめぐるクマーリラの不明確な態度が何に由来するのかが,次年度の研究課題であることも明らかとなった。
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