本研究はアタルヴァヴェーダ・パイッパラーダサンヒター(Atharvavedapaippaladasahita)第十巻の校訂をめぐる諸問題を扱う。はじめに写本に関する研究として、アタルヴァ・ヴェーダ写本の過去150年にわたる研究史を整理して、現在の学問的課題のひとつが、テキスト伝承史の解明にあることを指摘した。この観点から、パイッパラーダ・サンヒター第十巻の諸写本にみられる、誤写、地方語の影響、および過剰修正の用例を蒐集整理し、併せて諸写本の特質を検討した。これは現在国際的に進められているパイッパラーダ・サンヒターの他の巻のテキスト校訂の作業に貢献するものである。 次いで内容に関する研究として、当該文献が扱う王権讃歌をとりあげ、そこにみられるra□□raの語の意味を検討して、この語が「部族連合」とその長である「王(部族長)」を意味することを指摘した。これはこの語の後代の主要な意味であるところの「領土」「国土」とは異なるものであり、これによって初期ヴェーダ文献の王権の特質とその歴史的な背景を検討した。 最後に当該文献が有する文献史的な意義を明らかにするために、当該文献にあらわれた潅頂(abhi□eka)の儀軌と意義を検討して、その初期の役割が資格付与、力能付与を目的とする儀礼であることを指摘し、続いて潅頂行為のその後千年にわたる儀軌および意味の変容を、ヴェーダ文献およびポスト・ヴェーダ文献にてらして跡づけた。これによって、ヴェーダの宗教における潅頂行為が、ポスト・ヴェーダ期にいたって沐浴(snana)に融合し、ヒンドゥー教儀礼の一要素として継承されることを明らかにした。ヴェーダの儀礼とヒンドゥー教の儀礼の連続と区別を解明する試みである。
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