平成17年度は、主題である曹洞宗と対比的存在である、浄土真宗の地蔵信仰受容を考察した論文を発表した。具体的には石川県旧・白峰村(現・白山市)の板碑・石仏の調査と分析を行った。(「旧・白峰村の板碑・石仏」) 旧・白峰村は、敬虔な真宗地域であるが、これとは別に板碑・石仏も多数存在する。旧・白峰村の板碑・石仏はおおよそ3つに分類できる。第一は、白山下山仏である。明治の神仏分離にあたり、修験者が白山に祀っていた板碑・石仏の多くは破壊されたが、一部は麓にある白峰村に降ろされ、今日に至っている。 第二は出作りの守護仏である。但し、敢えて作られたものは少なく、出作り中に山の中で拾ったものを守護仏として祀ったケースが一般的である。とすると、これも一種の白山下山仏と言える。 第三は、路傍の地蔵像で、その職能は、現世利益・不慮の死を遂げた人の供養である。造立年代は江戸時代にさかのぼるものをあるが、その多くは明治以降である。明治時代にある僧侶の呼びかけによって地蔵像等の石仏が路傍に造立されるようになったとする伝承が現地に存在する。しかし、こうした宗教現象が一僧侶の呼びかけによってのみ定着したとは考えにくい。江戸時代以降における他地域との交流・明治時代以降の世俗化を考慮すべきであろう。 したがって旧・白峰村の地蔵信仰は、江戸時代以降に、他地域の影響から受容されたものと言える。本研究の主題である、曹洞宗の地蔵信仰は中世に始まり、江戸時代に一般化された訳である故、浄土真宗地域の地蔵信仰は、これに遅れて受容されたものと言える。また、浄土真宗の地蔵信仰の一源流に、曹洞宗の地蔵信仰が想定される。北陸に共存した両宗派の影響関係については今後の課題としたい。
|